季刊「イズミヤ総研」第50号より抜粋

  
経営理念に導かれたリーダーシップ
神戸大学大学院 経営学研究科教授 金井 壽宏

 サーバント・リーダーシップとは何か

 

 企業には経営理念というものがあります。もしも経営者や管理職の立場で、自分が本当に信じているものがあって、その信じている価値の実現のために部下が頑張ってくれているとしたら、その人のために尽くすのは当たり前である、という考えをロバート・グリーンリーフは「サーバント・リーダー」という言葉で呼びました。

  辞書で「サーバント」と引くと、従者、召使い、下僕という意味が出ています。一方、「リーダー」は王様や県知事や社長であり、下僕と指導者は普通は一致しないものです。サーバント・リーダーという考えが興味深いのは、「上に立つ人こそ皆に尽くしていくタイプの人でないとだめだ」という点なのです。

 私がお会いした経営者の例を挙げます。エーザイの内藤社長はある会合で「社員の皆さんには、何のために仕事をしているのかということや、自分の役割、自分のアイデンティティ、自己規定について、この大きな変化の時代に改めて考えてほしい」とおっしゃいました。社長は毎日、「何のために私は社長をやっているのか」というような問いかけをしていらっしゃるといいます。

 その日の会合に来る前の問いかけは、「社員が社長のためにいるのか、社長が社員のためにいるのか」というものだったそうです。まっとうに考えれば、社長が社員のためにいるに決まっているのですが、勘違いが起こる場合があります。社長は人事権を持っていますし、しかもオーナーである場合は、その会社で働いている人たちは社長である自分を盛りたてるためにいるのだという勘違いが起こりがちです。しかし「そうではなく、私が社員のためにいるのだと改めて考えたのです」とおっしゃるのです。

 エーザイの経営理念は「ヒューマン・ヘルスケア」です。とくに医科向けの薬の場合、買ってもらうのは医者であるが、本当は何のために薬を開発して売っているのかというと、病気で困っている人に心配りをするためであるはずなのです。そこで、人々の健康を心遣うことを理念にするという当たり前のことをきちんと守りたい、との思いをヒューマン・ヘルスケアという言葉で表したと言います。

 社長がそのような理念を語っても、言葉の遊びだと思われたらそれまでです。しかし社長がどうやら本気らしいということになれば、社員の側でも真剣に受け止める人が出てきます。アルツハイマーの薬を開発した杉本八郎さんという方も非常に感銘した一人でした。

 実は社長がこの理念を言い始めた頃、杉本さんの母親が脳血栓で倒れた。アルツハイマーと同じ症状になったのです。母親の介護をしていて、自分を認識できなくなっていることに気づいたときはものすごくショックだったとおっしゃいます。それで、「高齢化社会になれば、自分がアルツハイマーになるかもしれないし、自分の身近な人がなるかもしれない。そう思ったらこれは皆の問題だろう。社長が本気でヒューマン・ヘルスケアと言っているのであれば、アルツハイマーに効く薬が出来ればヒューマン・ヘルスケアの実現になるのではないか」と考えたそうです。

 結果、多額の費用をかけて、アリセプトという薬の開発に成功しました。そしてそのお祝いの席で、「これがグローバル・ヒューマン・ヘルスケアの実現になれば非常に嬉しい」とのスピーチをされたのです。

 経営者が本当に深く信じている、実現したい価値観や理念があれば、経営者自身もその理念に対してはサーバントです。そして、その理念の実現に向かって開発している人、営業している人、あるいは工場で物を作っている人に対しても、経営者は尽くすべきだという考えがサーバント・リーダーなのです。

 サーバント・リーダーのことを、私はたまに冗談で「奴隷型リーダー」と訳すことがあり、リーダーがみんなのために奴隷のように働けば皆もついてくるのだ、と言うことがあるのですが、実際はこれとは少し違います。本当は、例えばキリスト教でいうイエス・キリストの例がいいと思うのです。本当に神を信じていて、十二使徒がその教えを広めてくれるのであれば、キリストは十二使徒のために尽くすのは当たり前です。ただ奴隷になるのとは違い、大きなビジョンを描いて、部下が本当に困っているときにコーチングして、自分も信じている理念の実現のために邁進している人たちに対してきちんと支援ができる、これをサーバント・リーダーというのです。

(中略)

 サーバント・リーダーシップは奥行きが非常に深いと思います。松下幸之助さんのように、本当に信じている理念があって、その理念に向かっている限りは事業部長に対しても入社2年目の人に対しても自分がサーバントであるという振る舞いができるというのは、相当レベルが高い。しかし同時に、親の子供に対する行動や、愛する人に対して自然にできていることを考えれば、誰にとっても全く知らない世界ではないのです。逆に、尽くしたために人がついてきてくれる、というのは誰もが経験あることでしょうが、しっかりこれをやり切るとなると、米国公民権運動時のキング牧師のレベルまでいってしまうのです。

 一見ダーティー・ワークな部分も、縁の下の力持ちで自然にできるのは、目指している目標自身が崇高であるからではないかと思います。個人の場合であれば、「なぜ自分は生きているのか」という自己規定や自分の信じているものです。会社であれば、もちろん収益をあげることは大事だし、生き続けることや勝ち続けることも大事なのですが、だが生存するためだけに会社は存在するのではないのですから、社長が他の会社にできない、この会社ならではの何かを目指し、従業員のために自分がいるのだと思えるなら、そこが金脈だという感じがします。

 


(詳細は「季刊イズミヤ総研」第50号を参照下さい)